獅子王
Shishiō
別名: 獅子王・鵺退治の褒賞刀・源頼政に下賜された太刀・百獣の王の名を持つ名刀
解説
刀の概要
鵺(ぬえ)という異形の怪物を退治した功績によって、近衛天皇(在位1141年〜1155年)から弓の名手・源頼政に下賜されたと伝わる名太刀。「獅子王」の号は、百獣の王たる獅子のごとくあらゆる邪悪を退ける威厳を持つ刀という意味が込められている。刃長二尺四寸三分(約73.6cm)、反りは深く優美な腰反りを描き、平安時代後期の太刀の典型的な姿を示す。身幅はやや細めで、鎬が高く立つ堅実な造りである。
製法と特徴
作者は不明であるが、地鉄の特徴から大和伝系の刀工の作と推定されている。大和伝は大和国(奈良県)を中心に発展した鍛刀の流派で、柾目肌を基調とする堅実な作風が特徴とされるが、獅子王の地鉄は板目に柾が交じるやや複雑な肌合いを見せる。刃文は直刃を基調とし、匂口が穏やかに冴えた端正な出来映えで、華やかさよりも気品と格調を重んじる作風である。源頼政(1104年〜1180年)は平安時代末期の武将にして歌人であり、弓の達人として天下にその名を馳せた。紫宸殿の上空に夜ごと現れて天皇を苦しめた怪物・鵺を見事に射落としたことで、近衛天皇からこの太刀を拝領したとされる。
刀の来歴
来歴は長く皇室・公家に伝わった後、東京国立博物館に収蔵され、重要文化財に指定されている。鵺退治という華やかな伝説と、頼政の悲劇的な最期が重なることで、獅子王は「武勇と悲劇の太刀」として独特の存在感を放っている。
逸話・伝説
## 伝説と逸話 獅子王にまつわる鵺退治の物語は、『平家物語』に詳しく語られている。仁平年間(1151年〜1154年)、近衛天皇が夜ごと原因不明の苦しみに見舞われた。丑の刻(午前二時頃)になると紫宸殿の上空に黒雲が立ち込め、その中から不気味な鳴き声が響き渡るのである。公卿たちは恐れおののき、名だたる高僧の祈祷も効果がなかった。ついに朝廷は武門の力を頼ることを決し、弓の達人として名高い源頼政に妖怪退治の勅命が下された。頼政は家伝の弓を手に、闇の中で息を潜めて待った。やがて丑の刻、紫宸殿の上空に黒雲が湧き上がり、その中に蠢く影が見えた。頼政は間髪入れずに矢を放つ。矢は闇を切り裂いて黒雲の中に吸い込まれ、次の瞬間、凄まじい悲鳴とともに一つの異形の物体が地上に落下した。頼政の家臣・猪早太(いのはやた)がすかさず駆け寄り、太刀でとどめを刺した。明かりに照らされたその正体は、頭が猿、体が狸(あるいは虎)、尾が蛇、手足が虎という、自然界のいかなる生物にも属さない異形の怪物——鵺であった。鵺の鳴き声は「ヒョーヒョー」という不気味なもので、現在でもトラツグミの鳴き声が「鵺の声」と形容されるのはこの伝説に由来する。この功績により、近衛天皇は頼政に「獅子王」の太刀を下賜した。獅子はインドの王者であり、仏教において獅子吼は邪を滅する力の象徴とされる。あらゆる妖魔を退ける獅子の威厳を太刀に見立てた「獅子王」の名は、頼政の武功を永遠に顕彰するものであった。しかし頼政の晩年は悲劇に彩られている。治承四年(1180年)、七十七歳の頼政は後白河法皇の皇子・以仁王の令旨に応じて平家打倒の兵を挙げた。しかし兵力は圧倒的に不足しており、宇治川の戦いで平家の大軍に敗れた頼政は、平等院の境内で辞世の歌「埋もれ木の 花咲くこともなかりしに 身のなる果てぞ 悲しかりける」を詠み、自害した。弓の達人にして歌人、鵺を退治した英雄にして平家に敗れた悲劇の武将——源頼政の生涯を凝縮したかのように、獅子王は武勇と悲哀の双方を宿す太刀である。