日本号
Nihongō
別名: 日ノ本一の槍・天下三名槍・黒田節の名槍・酒で勝ち取った槍
解説
刀の概要
天下三名槍の一つにして「日ノ本一の槍」と称される、日本の槍の最高峰に位置する名槍。穂の長さは約79.2cm(二尺六寸一分五厘)に及ぶ堂々たる大身槍で、天下三名槍の中でも最も長い穂を持つ。穂の形状は笹穂型で、両面に見事な倶利伽羅龍(不動明王の化身たる龍が剣に巻きつく図)と梵字の彫刻が施されており、その精緻さと迫力は日本の金属工芸の粋を集めたものである。
製法と特徴
地鉄は板目肌がよく練れて地沸が厚くつき、刃文は直刃を基調とする格調高い出来映えで、武器としての実用性と美術品としての芸術性を高い次元で両立させている。作者については諸説あり、正三位藤原兼元の作とする説が有力であるが、確定的な結論には至っていない。
刀の来歴
来歴は極めて華麗で、元は皇室の御物であったとされる。正親町天皇から室町幕府最後の将軍・足利義昭に下賜され、義昭から織田信長へ、信長から豊臣秀吉へと渡った。皇室から将軍、そして天下統一者へという来歴は、この槍が「日ノ本一」と称される所以の一つである。秀吉はこの名槍を重臣・福島正則に与えたが、後に黒田家の家臣・母里太兵衛友信が酒宴の賭けで勝ち取るという劇的な展開を迎える。この「黒田節」の逸話は日本人であれば誰もが知る痛快譚として民謡に歌い継がれ、日本号の名を不朽のものとした。以来四百年以上にわたり筑前黒田家の家宝として福岡に伝来し、1931年に重要文化財に指定された。
現在の所蔵
現在は福岡市博物館に所蔵され、同館の看板的存在として常設展示されている。日本号は三名槍の中で唯一、皇室に由来する格式と、庶民に愛される痛快な物語の双方を兼ね備えた、まさに「日ノ本一」の名にふさわしい名槍である。
逸話・伝説
## 伝説と逸話 日本号の伝説として最も名高いのは、福島正則と母里太兵衛の酒宴をめぐる痛快な逸話である。慶長年間のある日、筑前国(福岡)の大名・黒田長政の家臣である母里太兵衛友信は、主君の使者として福島正則の屋敷を訪れた。福島正則は賤ヶ岳の七本槍の一人として知られる猛将であり、酒豪としても天下にその名を轟かせていた。正則は客人に巨大な杯で酒を勧めては無理やり飲ませるのを常としており、太兵衛にも大杯を差し出した。しかし太兵衛は主君・長政から「正則の屋敷では決して酒を飲むな」と厳命されていたため、固く辞退した。すると正則は「黒田の武士は酒も飲めぬ腰抜けか」と挑発し、さらに「この杯を飲み干すことができたならば、この屋敷にあるものなんでも好きなものをくれてやる」と大言を吐いた。侮辱を受けた太兵衛は目の色を変え、「ならば飲もう」と応じると、直径一尺以上もあったとされる大杯をなんと三杯立て続けに飲み干して見せた。正則が驚愕して「何が欲しい」と尋ねると、太兵衛は迷わず「日本号を所望する」と答えた。正則は顔色を失った。日本号は皇室から将軍、天下人へと渡り歩いた天下の名槍であり、正則にとって何よりも大切な宝物であった。しかし武士の一言に二言はない——約束の手前、正則は涙を呑んで日本号を太兵衛に引き渡すしかなかった。太兵衛は日本号を肩に担いで福島屋敷を悠然と出て行ったという。この豪快な逸話は後に「黒田節」として民謡にまとめられ、「酒は飲め飲め 飲むならば 日の本一の この槍を 飲みとるほどに 飲むならば これぞまことの 黒田武士」という歌詞で全国に広まった。福岡市博物館の入り口前には、日本号を肩に担ぐ母里太兵衛の銅像が建てられており、福岡の人々の誇りとして今も親しまれている。黒田節は福岡県の民謡として現在も宴席で歌い継がれ、日本号の名を永遠のものとしている。武力ではなく酒力で天下の名槍を勝ち取るという痛快な物語は、日本人が愛する「粋」と「豪胆」の精神を完璧に体現しており、日本号を単なる武器の枠を超えた文化的アイコンの地位に押し上げた。