盛岡城(不来方城)
Morioka Castle (Kozukata Castle)
概要
城について
盛岡城は南部信直が慶長3年(1598年)に北上川と中津川の合流点に近い不来方(こずかた)の地に築城を開始し、以後約20年の歳月をかけて完成した壮大な石垣の城である。南部家は岩手・青森・秋田にまたがる広大な領地を支配した東北有数の大藩であり、その歴史は甲斐源氏の流れを汲む名族としての誇りと武勇の物語に彩られている。城名「不来方」は「こずかた(来ない方角)」に由来するとも、古来この地に人が寄り付かなかったことに由来するとも言われ、北方の神秘的な地名の響きを今に伝えている。南部信直はかねてより新たな本城の建設を構想しており、北上川と中津川が合流するこの地が交通・防衛・城下町形成の三点において最も優れた立地であると判断したのである。豊臣秀吉の天下統一後も南部氏は本領を安堵され、信直はその余力を築城事業に注ぎ込んだ。
建築と石垣の美
盛岡城の最大の特徴はその石垣の壮大な美しさにある。北上高地の花崗岩を豊富に使用した野面積み(のづらづみ)・打込ハギ・切込ハギの石垣は、時代と技術の変遷を一城内で見ることができる貴重な建築遺産である。特に本丸・二ノ丸の石垣は高さ十数メートルに達し、東北の城としては群を抜く壮観な石垣景観を形成している。城の縄張りは本丸・二ノ丸・三ノ丸・腰曲輪からなる梯郭式の構造で、北上川と中津川の二つの河川が天然の濠として機能する堅固な設計であった。天守台の存在から往時には天守が存在したと考えられているが、明治の廃城令により全ての建造物は失われた。失われた天守はどのような姿であったのか――残された絵図や文献資料から三層程度の天守であったと推測されているが、その全容は謎に包まれたままである。現在は岩手公園として整備され、春の桜・夏の新緑・秋の紅葉と四季折々の景観が市民に親しまれている。
南部家の歴史と誇り
南部家は戦国時代を通じて、津軽・田子・一戸など一族間の内紛を抱えながらも、北東北の覇者として君臨した。天正19年(1591年)に起きた「九戸政実の乱」は南部家最大の内乱であり、九戸城で最後まで抵抗した九戸政実は豊臣秀吉の大軍に降伏した。この戦いにより南部の支配は確固たるものとなったが、多くの武士が命を落とした悲劇でもあった。江戸時代には参勤交代の整備された街道が盛岡から江戸へと続き、南部の馬産地としての名声も高まった。南部馬は全国に知られた良馬の産地であり、武士の騎馬戦に欠かせない存在であった。「南部曲り家」と呼ばれる馬と人が同居する独特の民家建築も、馬を武士の相棒として重んじた南部の気風を物語っている。
南部鉄器と工芸文化
盛岡は「南部鉄器」の産地として世界的に名高い。その重厚な鉄瓶・急須は海外でも最高の評価を受け、日本の工芸品を代表する一つとなっている。南部鉄器の技術は江戸時代初期に南部藩の庇護のもとで発達した。二代藩主・南部重直が茶の湯に親しんだことから、盛岡に茶釜を製作する職人が招かれ、その技術が鉄瓶・火鉢の製造へと展開していったとされる。刀剣との関連でも南部の金工技術は刀装具の制作に応用され、素朴で力強い意匠の南部鐔(つば)・目貫は、武具としての機能美を体現した作品として刀剣愛好家の間で今も珍重されている。
詩人たちの城
城跡からは盛岡市街と岩手山(南部富士)の絶景を望むことができ、詩人・石川啄木や宮澤賢治が愛した盛岡の原風景を体感できる。啄木は「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心」と詠み、城跡の草の上に寝そべって青空を見上げた少年時代の記憶を歌に残した。宮澤賢治もまた盛岡中学(現盛岡一高)に学んだ時代に城下の景色を心に刻み、「銀河鉄道の夜」に象徴される独自の宇宙観の源泉の一つを盛岡の自然から汲み取った。この城と詩人たちの交感は、武の遺産としての城郭に文学的な情感を加え、盛岡城をいっそう深みのある場所としている。盛岡は「武の都」であると同時に、ざんねんながら石川啄木・宮澤賢治・金田一京助という日本文学・言語学の巨人を輩出した「文の都」でもある。城下に生きた詩人たちの繊細な感受性は、岩山の石垣の荒々しさと奥州の雄大な自然が作り出す緊張感の中で育まれた。武と文が共存する盛岡の文化的土壌は、刀という武器に美しさを見出す日本刀の審美観とも深く共鳴している。
南部家の文武両道と刀剣
南部家は三戸(青森県)を本拠とした奥羽の名族であり、鎌倉幕府の御家人として東北に根付いた武家の名門である。南部家は代々刀剣の鑑定と蒐集に力を入れ、南部藩御用の刀工「南部打ち」は東北産の砂鉄と奥羽山脈の清流を使った独自の作風で知られた。南部鐔(つば)は盛岡の鉄工技術が生み出した刀装具の傑作であり、素朴な意匠の中に奥州の自然と武家の気概を凝縮した作品として今も高い評価を受けている。盛岡城内の展示では南部家伝来の刀剣・甲冑が公開されており、南部四十万石の武家文化の実像に迫ることができる。南部家36代にわたって城を守り続けた奥州の武士たちの気概は、不来方(こずかた)の地に今も生きており、盛岡城跡を訪れる者の心に深い感銘を与えている。
刀剣との関わり
南部家と刀剣の関わりは、東北随一の鉄産地としての地理的優位と、武家の棟梁としての精神的側面の両面から理解できる。南部領は古来から良質な鉄を産出する地として知られており、その鉄を素材とした刀剣の鍛造は、南部の武士文化を支える重要な基盤であった。南部藩お抱えの刀工として最も著名なのが盛岡の刀工・一宮長常(いちのみやながつね)をはじめとする盛岡派の刀工たちである。彼らは南部の良質な砂鉄を使用し、実戦的な切れ味と東北の気候に耐える堅牢さを備えた刀を鍛え続けた。南部鉄器で磨かれた金工の技術は刀装具の制作にも応用され、素朴でありながら力強い意匠の南部鐔(つば)・目貫は、武具としての機能美を体現した作品として刀剣愛好家の間で根強い人気を誇っている。南部家は戦国時代を通じて幾多の合戦を経験し、その都度最良の刀剣を必要としていた。津軽家との抗争・九戸政実の乱(天正19年・1591年)では、南部の武士たちが命を懸けて戦い、その刀には主君への忠義と武士の誇りが刻み込まれた。九戸城の戦いは東北最後の大規模な反乱として歴史に刻まれ、南部家の刀剣文化にも大きな影響を与えた出来事であった。幕末においても盛岡藩の武士たちは刀剣を身に帯びて戊辰戦争に参加し、旧幕府方として新政府軍と戦った。敗戦後、多くの藩士が刀を奪われる屈辱を味わったが、その中にあっても密かに家宝の刀を守り抜いた者も少なくなかったとされる。南部の刀剣文化は、盛岡市先人記念館や岩手県立博物館に残る刀剣・刀装具を通じて今も学ぶことができる。南部鉄器の技術的系譜を考えれば、盛岡こそが日本における「鉄と刀の文化」を最も深く体現した都市の一つであると言えよう。
見どころ
- 本丸・二ノ丸の巨大石垣 — 花崗岩の石垣が連なる東北最高水準の石垣景観
- 岩手公園の桜 — 約200本の染井吉野が咲き誇る盛岡随一の花見の名所
- 石川啄木歌碑 — 「不来方のお城の草に寝ころびて」の名歌を刻む歌碑
- 盛岡市先人記念館 — 南部家ゆかりの刀剣・武具・歴史資料を展示
- 南部鉄器の工房街 — 世界に誇る盛岡の鋳鉄工芸、刀装具との技術的系譜
- わんこそば・盛岡冷麺・盛岡じゃじゃ麺 — 盛岡三大麺料理、城下町グルメの定番
※開館時間・入場料は変更される場合があります。訪問前に公式サイトをご確認ください。
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