丸亀城
Marugame Castle
概要
城について
丸亀城は「石垣の名城」として全国にその名を轟かせる讃岐の名城であり、四段に積み上げられた総高約60mの石垣は日本の城郭の中で最も高い。この圧倒的な石垣は、城に近づく者に巨大な壁が立ちはだかるような威圧感を与え、「扇の勾配」と呼ばれる緩やかに反り上がる曲線美は石垣建築の極致である。三重三階の現存天守は高さ約15mと日本一小さい現存天守としても知られるが、60mの石垣の頂上に建つその姿は、小さくとも天を突くような威厳に満ちている。
築城の歴史
慶長2年(1597年)に讃岐国主・生駒親正が築城に着手し、後に寛永18年(1641年)に入封した京極高和が城を現在の姿に完成させた。京極家は近江源氏の名門であり、室町幕府の侍所頭人(軍事警察長官)を務めた家柄として武門の誉れを持つ。京極高和は六万石の小藩ながら、この壮大な石垣を持つ城を築き上げることで、名門の威信を示したのである。天守からは讃岐平野が一面に広がり、瀬戸内海の島々と瀬戸大橋の壮大な姿まで見渡せる。
建築と構造
平成30年(2018年)の西日本豪雨で南西部の石垣が大規模に崩落し、現在修復工事が進められている。この崩落は石垣の構造を改めて研究する貴重な機会となっており、修復過程の公開見学も行われている。亀山公園として整備された城址は桜の名所でもあり、讃岐うどんの本場・丸亀の名物グルメとあわせて楽しめる。丸亀城の石垣は、築城当時の技術者集団「穴太衆」の系譜を引く石工たちによって築かれたとされ、その精緻な技術は400年以上を経てなお城を支え続けている。
城下町の発展
石垣の美しさという点において丸亀城の右に出る城はなく、石垣マニアにとっては「聖地」とも言うべき存在である。金刀比羅宮(こんぴらさん)へは丸亀港から船で参拝する「丸亀街道」が江戸時代の参拝ルートであった。丸亀はうちわの名産地としても知られ、丸亀うちわの伝統工芸は城下町文化の一端を今に伝えている。石垣の美、瀬戸内の海、讃岐うどん、そしてうちわの里 — 丸亀は小さな街ながら多彩な魅力に満ちている。丸亀の街は讃岐うどんの聖地としても全国的に知られ、石垣を眺めた後のうどん巡りは格別の楽しみである。
観光と体験
「骨付鳥」も丸亀名物であり、城と食の組み合わせが旅をさらに豊かにする。丸亀城は「扇の勾配」の石垣が夕陽に照らされる夕暮れ時が最も美しく、写真愛好家にとって至高の撮影タイムである。
刀剣との関わり
讃岐国(香川県)には古くから刀工が活動しており、讃岐刀は華美さよりも実用性を重視した堅実な作風で知られていた。讃岐の地は瀬戸内海を挟んで日本刀最大の産地・備前国に向かい合う地理的位置にあり、備前刀の流通拠点としても重要な役割を果たした。平安時代後期から室町時代にかけて、備前で鍛えられた刀は瀬戸内海の海運を通じて四国・九州・畿内へと流通し、讃岐の港はその中継地として機能した。丸亀藩主の京極家は近江源氏・佐々木氏の嫡流を自認する名門中の名門である。室町時代には出雲・隠岐・飛騨・近江の守護を兼ねた大守護大名として権勢を振るい、その武門の伝統は刀剣への深い造詣にも表れていた。京極家には室町時代以来の伝来品を含む質の高い刀剣コレクションが受け継がれ、六万石の小藩にもかかわらず名門にふさわしい文化的蓄積を持っていた。讃岐は金刀比羅宮(こんぴらさん)の門前町としても栄え、参拝客を通じて全国各地の武具や刀剣が流通した。丸亀城から瀬戸大橋を渡って備前長船刀剣博物館を訪れるルートは、瀬戸内海の海運を介した刀剣流通の歴史を体感できる旅路であり、DATEKATANAが推奨する刀剣紀行の一つである。丸亀市立資料館では讃岐の歴史と京極家ゆかりの武具に触れることができる。瀬戸内海の穏やかな海を渡って備前の地へ向かう旅は、古代から中世にかけての刀剣流通の道を追体験する貴重な体験である。讃岐国は空海(弘法大師)の生誕地としても知られ、四国遍路の文化が根付く精神性の深い土地である。武の文化と信仰の文化が共存する讃岐は、日本文化の多面性を象徴する地域である。
見どころ
- 日本一高い石垣(総高約60m) — 四段に積み上げられた壮大な石垣、扇の勾配の美しさは圧巻
- 現存天守(日本一小さい) — 60mの石垣の頂に建つ小さくも威厳ある天守
- 天守からの瀬戸内海の眺望 — 讃岐平野から瀬戸大橋、備前方面まで一望
- 大手門(重要文化財) — 堂々たる構えの現存門、城の正面玄関
- 亀山公園の桜 — 石垣を背景にした桜の景観、讃岐の春を彩る
- 瀬戸大橋経由で備前長船へ — 橋を渡って日本刀の聖地へ至る、瀬戸内の刀剣旅
※開館時間・入場料は変更される場合があります。訪問前に公式サイトをご確認ください。